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B A C K    T O P    N E X T                                        

  1人目・・・カラス   


「 籠の鳥のしあわせを、一体誰が知るだろう 」




カラスは「あの人」の弟分だった。
駆け出しのアートディーラーだった頃「あの人」に会い、「あの人」のおかげで随分と儲けさせて貰った。
それ以来、彼には頭があがらない。
だからなのか、カラスは「あの人」がお気に入りのトリの様子を見に、ちょくちょくその部屋に訪れていた。毎回、何かしらの土産を持って。

「カラスさんが来ると、いつも雨ですね」
玄関でサエに出迎えられ、カラスは苦笑した。
そうかもしれない。
彼と出歩く時は傘が手放せないと、友人達はよく言った。彼自身は雨が好きだったから、大して困ったことはなかったけれど。
特に、今の季節の雨は好きだった。
春先の芽吹く予感と、冬の名残が残った冷たさ。両方が混ざり合った春雨は、甘く、冷たい。それに降られるのが好きで、今日のようにわざと傘を持ち歩かない時すらある。
そう、カラスが答えると、変わっていますね、と大概の人は言う。
同意してくれたのは「あの人」を含めわずか3人だけだった。案の定、サエにも言われてしまった。
「雨が好き、なのまでは解りますけれど、濡れるのが好き、というのは変わっていると思います。むしろ、迷惑です。誰がその服を洗濯すると思っているのですか?」
お手伝いさんらしい視点だなとカラスは思う。
自分より若いにも関わらず、サエの考えはしっかりしており、また、物怖じせずに言ってくる。この、時には説教すらしてくるお手伝いさんをカラスは気に入っていたので、素直に「ごめんね」と謝っておいた。
「ところで、今回は梅のお香を持って来たんだ。台も持ってきたから、すぐに焚けるよ。サエちゃん、良かったらやって貰える?」
風流ですねぇ、とサエは早速、香を手に取る。手際よく準備をしながら、顔を少しいじわるそうに歪めサエが言う。
「カラスさん、マーキングのつもりですか?」
「面白い発想だね。でも、それなら俺の香水を置いていくよ。」
「そんなあからさまだと、「あの人」が気付くでしょう。だから、こんな風にお香を、ですね?」
「違うってば。何で俺が、そんなことするの?ここは、「あの人」の場所なのに」
「やきもち、といったところでしょうか。」
サエが香に火を灯す。
「ここの所、「あの人」は仕事仕事って言ってカラスさんに構ってくれていないでしょう?暇が出来たら、トリさんに会いに来るばかり。だから、よく来る場所に、マーキングを、しておこうと思った。「俺を忘れないで」と。どうですか?」
ゆらゆらと焚き出された香は、初めてのはずなのに、どこか懐かしかった。
蚊取り線香の匂いに似ている、のかもしれない。「あの人」とも、夏になるとよく嗅いだ匂い。
縁側。花火。ビール。枝豆。蚊取り線香。

横に居るのはいつも、俺であったはずなのに。

いつの間にか、あの人はトリの匂いしかしなくなった。
だから、俺は・・・

「違うよ、サエちゃん。想像逞しすぎ。」
ケラケラと笑って、俺はサエに片手を上下にぱたぱたと振った。
「お手伝いさんしてると、皆そうなるのかな?何だったら、そのお香持ち帰るけど?」
「駄目です。こんな良い香りなのに。というか、私は一回貰ったものは、返しません。」
「・・・お手伝いさんって、皆、そんなふうにがめついのかな?」
「ご期待通りに、今からカラスさんのお茶、出涸らしに変えてきましょうか?」
「結構です。」
今度は手だけでなく顔も左右にぶんぶんと振り、サエに湯飲みを奪われる前にカラスは、ずずずっとお茶を飲み干した。
「それで」
ようやく、訪問の目的を思い出す。香をかいで貰いたかった、本来の相手。
「トリ・・・サトリはどこにいるの?」
皆からトリ、と呼ばれ「あの人」に愛され親しまれている、少女。サトリ。彼女に会いに、カラスは来たのだった。
「トリさんはどこかへ消えてしまいました。」
ほんわかとサエが微笑む。
サエを見ていると、こいつは、サトリを本当に鳥だと思っているのでは無いか、と思ってしまう。それほど、サエのサトリへの対応は、簡潔だったからだ。だが、サエをサトリの傍に置いておこうと決めたのは「あの人」だから。カラスは何も言わない。言わない代わりに、ほんわかと笑い返す。
「また?あの子、一人で隠れんぼするの、好きだよね。」
「はい。でも、今なら見つけやすいと思いますよ。雨が降っているときは、窓に張り付いてその様子を見ていますから。」
「そっか。そしたら、ベランダ近くが居る可能性が高いかな。リビングじゃなければ・・・寝室かな。」
「おそらく」
サエは頷くが、立つ気配はない。
「いいの?俺一人で。」
「なんで、そんなこと聞くのでしょう?もちろん、構いませんよ。」
互いに、笑みを深く交わし合う。

カラスは、「あの人」が選んだから、サエには何も言わない。
サエも、同じだ。
「あの人」は、カラスたちそれぞれに、深く深く根付いている。己を構成する、大きなパーツ。行動理由にはいつもどこかで「あの人」が関係している。良かれ、悪かれ。
自覚していながらも、カラスはそれを、辞めようとは思わない。
思えない。

「マーキングは、ほどほどに。」
寝室に向かうカラスの背に、サエの言葉が降った。春雨のように、甘く、冷たかった。
「したところで、あの人は気にもとめないのでしょうけれども。」


* * *    * * *


「あの人」のトリは大人しかった。
カラスが頭や喉に触れても、身じろぎもせずに、じっとしている。目は閉じない。上を向かせると、カラスをまっすぐ見つめてくる。透き通った黒い瞳。そこに映る自分を見たくなくて、カラスはよく、その目を舐めた。
べろり、と。
初めてそうした時、トリはきょとん、とした顔でカラスに聞いた。
「あたしの目、美味しいの?」
どう答えたか、カラスは覚えていない。
けれども、その答えが気に入ったのか、サトリはカラスが目を舐める度に彼にそう尋ねる。
あたしの目、美味しい?
行動が徐々に加速度を増し、自制が効かなくなったのは、いつの頃か。
あたしの口、美味しい?あたしの喉、美味しい?という質問に混じり、あたしの体、美味しい?とサトリが尋ねるようになるまでに、時間は掛からなかった。けれども、カラスは決してサトリに愛情を持っていなかった。
ただ、両手で喉を押さえても、体を締め付けても、きょとんと見上げてくる。その瞳に自分が映るのが嫌だった。それならばいっそ、映らないように、訪問しなければいい。会わなければいい。そう思いながらも、カラスは結局、サトリの元へ来てしまう。そして、瞳に自分が映る前に、その目を舐める。

マーキング、とサエは言う。
それならば、俺はなにを所有物だと言いたいのか。サトリか。それとも、俺自身か。
そして誰に、そう言いたいのか。「あの人」か。それとも、俺自身か。
点々と、次第に増えていくサトリの体に散った赤い跡。
しかし、それを付けてみた所で、所有物も所有者も、権利を主張したい相手も、カラスには解らなかった。彼が何をしたところで、サトリも、「あの人」も、何も言わず、何も変わらない。
俺自身さえ、変われない。
けれども、何かがゆっくりと確実に、閉じていく気配だけは感じていた。
まとわりつくようなその感覚に、俺はじりじりと焼かれていった。

逃げたい。
逃げられない。
出たい。
出られない。

どうすればいい。

俺が答えを求めてもがく先には、いつでも、あの瞳があった。

澄んだ、真っ黒な瞳が。


* * *    * * *


寒い。

寝室の窓が開いていた。カラスは目を細める。薄暗い。電気は付いていなかったが、カーテンの隙間から外の明かりが室内をぼんやり照らしていた。
窓に近づき、カラカラと閉めた。
春になったとはいえ、まだ冷える。窓にもたれかかっていたトリの体は、カタカタと震えていた。
「サトリ。」
呼びかけると、気だるげに顔を上げる。唇が真っ青になっている。
「…おいで。」
ベットに腰掛け、まねいたが、サトリはふるふると首を振り、また窓にもたれかかった。動く気は無いらしい。
「…なら、こっちにおいで。」
クッションを腰のあたりに置いて、カラスも窓際に座った。手招きすると今度は素直にサトリは動き、カラスの足の上に乗っかった。
ヒヤリとした感触が、サトリの身体から伝わってきた。毛布をかけ、カラスは自分の腕をまわしてサトリをすっぽり包み込んだ。
「冷たいな。風邪引くぞ。」
呟くと、くすくす、と笑う声が答えた。
「どっちがひくって?」
サトリよりも、低い女の声。
「こーの万年雨男。いっつもずぶぬれで来る男に、心配されてもねぇ…?」
俺は肩をすくめる。
サエも案外、意地が悪い。先客が居るなら居ると、言ってくれたら良いのに。同時に、サエが決してそんな気を回す奴で無い事も知っていた。だからこそ、カラスは気楽にここに立ち寄るのだ。付かず、離れず。適度に開けた距離感。
それはいっそ、寂しいほどに。
くすくす、と女がまた嗤う。カラスの思考を読んだように、いいタイミングで。
「お前、いつから居たんだ?」
女は「さあね」と、窓を見た。
「雨が降る前だったのは確かだけど?」
「それならな…」
サトリの身体を、もう少し気遣ってもいいじゃな…

「カラス。」

澄んだ黒い瞳が、俺を捕らえた。言うはずの言葉は咽喉奥へしまわれていく。
「ねぇ、お話して。」

「お話をして」というのが、サトリの口癖だった。
カラスだけではなく、皆にそう言っているらしい。
同じ話であっても、初めて聞くかのように耳を澄ませて聞いている。ただし、おなざりに話されるのは嫌らしい。適当に話していると「どうしてそうなったの?」と質問し、中途半端に終わらせようとすると「もっと」とねだる。
代わりに、真剣に話しているのならば、たった二言三言で終わったとしても、何も言わなかった。聞いた後には目を閉じて、満足そうに微笑んだ。
その表情に、カラスは見覚えがあった。まるで、俺が目当ての絵を買い取った時のような顔のようだ。うっとりとした満ち足りた表情。それを見ていると、またあの感覚に襲われた。ゆっくりと閉じていくような感覚。
だからなのか。だから、だったのか。
カラスは、試してみたくなったのだ。

籠の中の鳥の、幸せを。


俺は、口を開いた。



next people…“she”/祈願




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